思うことがあるなら正面からぶつかるべきではないか
「人にされて嫌なことは人にしない。」
「意見するときには自分は意見を言えるような人であるべき。」
いくつか自分の中に"こうありたい"と思うものが誰にでもあると思います。
幼少期からこういった心の中のことは意外と変わらないものです。
三つ子の魂百までとはよく言ったものだ。
ちなみに、このことわざの意味↓
三つ子の魂百まで:幼いころの性格は、年をとっても変わらないということ。*1
ここ数日の自分の中の感じたことの一つ、「思うことがあるなら正面からぶつかるべきではないか」ということについて語りたいと思います。
思うことがあるなら正面からぶつかるべきではないか
「敬語を使わない後輩がいて困ってるんだよね、腹立たしい。」
こう相談されたとき、なんて答えますか?
私は、悩みを打ち明けてくれた人に対して冷たいのかもしれませんが、
「それは大変だね。
でも、自分の常識と後輩の常識は違うんじゃない?
思うことがあるのであればきちんと本人に伝えるべきだよ。
本人に敬語を使って欲しいと自分の気持ちを伝えないと気付いてないのだから。
タメ口を許すのであれば、ここで吐き出すべきじゃないし、直すべきだと思うなら本人に言うべき。」
こう答えます。
思うことがあるのに、本人に伝えず周りへ怒りを漏らすのは違うのではないかなと。
思うことは本人に直接伝えないと何も変わらないはず。
相手を変える気がなく、ただ自分が怒りたいだけなのであれば心の中で納めるべきではないのでしょうか。
思いを伝えた上での相談なら
「思うことがあったから伝えたけど、うまく伝わらなかったよ」
と相談相手から言われたなら、
「えらいなぁ。そのうち気持ちが伝わるといいし、それでダメなら別の考え方の人ってことだ。
適度に距離を取りつつ、その人の生き方を見てると自分にはないものがあって面白いかもね。
辛い時は適度に吐きにおいで〜」
というような返事になります。
自分自身が誰かに相談するときも、まずは自分の中でその問題に対して行動を起こしてぶつかります。
その上で自分以外の視点で物事を見たときにどう対処するのが正解だったか、他の人にはどう写るのか、その上で今後対処しきれなかった問題をどうしたらいい方向に向かっていくのか。
このようなことを友達に相談します。
この心情は恋愛でも
さて、この心情は恋愛面でも働きます。
実際に、周りの友達と協力しながら気があることを噂で流して私に好意を伝えようとしてくる人はどうも好きになれません。
相談するのはいいのですが、本人の口ではなく周りから私への好意を聞かされると
「なんで真正面から向き合ってくれないんだろう?
噂を流したくないのに流れてしまっている場合も、秘密を守れないお友達と仲良いのは困るなぁ。」
こんな心理になってしまいます。
漫画とかで見る「お願い!協力して!!」の心情がわからないってことですね。
おそらく、漫画の中の青春の一ページに私は参加できなさそうです。あぁ残念。
陰口や周りを介した「〇〇さんが言ってたよ」は結局伝言ゲーム
思うことがあるなら正面からぶつかるべきではないのですかね?
本人の言葉で伝えないと、伝言ゲームのように内容は人によって解釈が変わっていくものですし。
本人同士で話をしてもすれ違ってしまうこともあるので尚更です。
なので私は噂話は真に受けないし、自分が噂を立てられても「私のことで噂する人がいるなんて気にかけてくれて嬉しいなぁ」くらいで気にしません。(ポジティブアホだと思います。平和。)
それで離れていく人はそうなんだろうし、離れていかない人もまたそういう人なんだろう。
結局、人間関係は変わりゆくものですし、自分がそのときに一緒にいて安心できる人がその時々で変わっているだけですからね。
その上で、離れていかない人が自分にとっても一緒にいて安心できる人になるわけで。
そんな私は、基本的に相談されることがあっても「双方の話を聞かないと自分の心情込みの相談だから、同調はできないよ」スタンスです。
こんな性格の私ですが、仲良くしてくれている人がいるのでその人は私が一緒にいて安心できる人ですね。
いつも仲良くしてくれてありがたい、毎日感謝です。
今後、この考え方はどう変わっていくのだろうか?
人生経験を重ねていけば、この心情も変わっていくんですかね?
それともやっぱり三つ子の魂百までなのかな?
何かで見ましたが、「自分の習慣や行動を変えるのにはそれまでの人生の半分の時間がかかる」らしいです。
どこかで今の考え方が変わっても、新たな考え方が染み付くのには何年もかかるらしい、長いなぁ。
将来私の考え方はどうなっているのかな?
未来が楽しみです。
*1:https://dictionary.goo.ne.jp/word/三つ子の魂百まで/